夫が公務員だったので、3食昼寝つきの暮らし(笑)にありつけると思いきや、待望の息子が生まれました。若い夫婦でしたからさほど家計に余裕がありません。だから8ヶ月目の息子を背中におんぶして、市場で花屋さんを始めました。
しかし、息子が1歳になった時、私の不注意でひどい消化不良を起こし瀕死状態になってしまいました。このことから、やはり我が子を自宅で育てようと、花屋さんをやめて、内職をすることにしました。
編物の内職をはじめ、やがて1964年、実家で営んでいたアパレル業(ユニフォームの製造・販売)の縫製業務を内職がわりに始めました。息子には、縫製で使う工業用ミシンの音が、子守唄代わり。
福岡支店の責任者として、すべてを任され、朝から晩まで、がむしゃらに働き続けました。とにかく働くのが楽しかったです。
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